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宮城 「南三陸町」からの復興便り

宮城県南三陸町に来ました 今日はイベント「福興市」が開催されています
「福興市」とは震災後まもなく 地域の方々と共に町の復興へ・・・という想いが込められた企画で、2011年4月29・30日に「第1回福興市」が開催されました。それから月1回開催され続けており、今回でなんと97回目の開催となりました

「福興市」は海産物の旬ごとに、わかめ、ホヤ、牡蠣、銀鮭などのお祭りが開催されます
そして今月は「寒鱈まつり」です
鱈といえば温かい鍋 鱈ちり鍋を求めて長い行列ができていました
そのほかにも、餅つき大会や懐かしい射的など、おたのしみが盛りだくさんでした。

注目イベントは寒鱈1本売りです
たらこや白子でお腹がパンパンになった大きな鱈は圧巻です。威勢のよい掛け声とともに次々に買い求められていました
鱈は家庭でさばくのが難しい魚なので、希望すればお店でさばいてもらうことができます

ここでは「寒鱈」と呼んでいますが、正確には「真鱈」という魚です
寒い季節に旬を迎えることから「寒鱈」という愛称で呼んでいるそうです
東北地方では白子をキクと呼び、鍋やお吸い物、てんぷらにして食べられています
鱈は身のほかに肝、アラなど食用部分が多い魚なのです

続いて、志津川地区で嵩上げ工事と同時期に整備されていた「南三陸震災復興祈念公園」が一部開園となったので行ってみました。
碑には地震の規模や被害の大きさが刻まれています。
この公園は大きな高台となっていて、万が一の津波の際には一時避難ができるようになっていました。

「祈りの丘」からは志津川地区の復興状態を一望することができます。
見渡して感じたことは、震災当時と地形が全く変わってしまったことです。建物があった場所は嵩上げされ、川は高い堤防で見えなくなりました。
復興が進むことで生まれ育った景色が変わってゆく。地元の方々はどのような気持ちでこの景色を見ているのでしょうか。

以前、この付近にはのどかなローカル鉄道が走っていて、今でも線路があった痕跡が残されています。
この鉄道も津波に流されてしまったのです。
写真中央あたりには、ホームや階段の名残りがある様子が写っています。
その駅は志津川駅という名前でした。

大津波により骨組みだけになった「南三陸防災対策庁舎」が見えます。
取り壊しも検討されましたが「あの日をわすれない」象徴として、事実上の震災遺構として残されました。
その後ろの黒い屋根が連なっている建物は、仮設商店街からはじまり復興のシンボルになった「南三陸さんさん商店街」です。いつもたくさんのお客さんや観光客が訪れるスポットとなっています。

海に向かって建てられているのは、東日本大震災によって犠牲になられた方々の名簿を納める「名簿安置の碑」です。
そのむこう側には、きらきら輝く志津川湾の海が見えました。

東日本大震災発生当時、大津波襲来まで「南三陸防災対策庁舎」から防災無線によって約30分間、懸命に避難の呼びかけを放送し続けていました。その直後に15.5mに及ぶ大津波に飲み込まれ、今の姿のような骨組みだけになってしまいました。多くの犠牲が出た瞬間です。
この防災無線放送によって避難をして助かった命もありましたが、残念ながらこの「命の放送」をアナウンスした方は命を失ってしまいました。
当時生きた人達を想い、そして、その教訓を胸に刻み「南三陸町」は復興へ歩んでいきます。

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