事務局Blog

HaKoBu事務局からのお知らせやぷちネタ、読者の声などをお届けします。

東日本大震災 5年目の記憶

東日本大震災、あの日から5年がたちました。
2011年3月11日 午後2時46分 宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0の大地震
が発生しました。
東北地方を中心に広い範囲で被害が発生し、今現在も苦しんでいる人がたくさんいます。

5年目のこの日、改めてあの日に起こったことを思い出すと共に、また何時起こるかもしれない震災に
他人事ではなく自分達が被災者なるかもしれないという意識と備えを持つことが必要で、被災地から
学ぶことはたくさんあります。

HaKoBuサイトは今後も日本を応援する記事をたくさん掲載していきたいと思います。
5年目の今日は、HaKoBu読者の及川さんから届いた5年の記憶をお伝えいたします。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

震災直後は宮城県の親戚と連絡が取れずにすごく心配しました。

テレビから流れる悲惨な情報に故郷はどうなってしまったのか
胸が痛くなったのを覚えています。

震災支援車両優先だった東北自動車道が一般車にも開放されたので、インスタント食品やペットボトルの水、カセットコンロのガスなどを持って親戚に届けに行きました。

福島県あたりから道路に大きな段差やヒビが入り、遮音壁も所々で傾いている状態で60㌔くらいで走りました。

大津波の被害があった沿岸部では、街並みが根こそぎ無くなって
いて言葉もありませんでした。
写真は名取市閖上地区でここはかつて住宅地だったところです。

南三陸町の防災対策庁舎は、大津波で無残に鉄骨だけに
なってしまいました。

震災当時、大津波に襲われるまで防災無線で住民に避難を
呼びかける放送をしていたそうです。
命懸けの防災無線に多くの命が救われました。

何度も津波に襲われた南三陸ですが、こんなに大きな被害は
今まであったのでしょうか。

現地を歩いて見たその惨状、油と潮の混じった臭い
風が瓦礫のトタン板を揺らす音。

・・・いまになっても忘れられません。

歌津では国道45号線の高架橋が津波により落橋しました。

多くの恵みをもたらす海。その海が街や人を襲う光景を
どのような気持ちで見ていたのでしょうか。

気仙沼では大型船「第8共徳丸」が陸地に打ちあげられました。

海にあるべき見上げる大きさの船が道路をまたいで陸地にある
という現実感のない光景に気持ちが動揺します。

震災以来、東北の今が気になり定期的に行くようになりました。
あれから5年が経ち、瓦礫が無くなり新しく道路が整備されて見た目には復興が進んでいるかのように
見えますが実情は厳しく、なかなか本当の自立した復興へとたどりついていない地域が多くあります。

本当の復興まで東北の今をHaKoBuに投稿しお伝えしていきますので、ときどき東北を
思い出してもらえるとうれしいです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
HaKoBuに掲載している、復興支援の目次はこちらから⇒『まごころゞ』目次

みんなからのコメント

コメントする

タイトル
名前
メッセージ

事務局Blog

カテゴリ
月別
最新の記事

おすすめ HOT TOPICS

募集中